老化の科学の進歩;老化は治せるかもしれない
街を歩くと老人が目に付くことがますます多くなっている。日本人の三人に一人は65歳以上になりつつある。淡路島でも日本の全体と同じ様に少子高齢化が進んでいる。しかし、最近の医学のニュースは、現在の人々の活動度は10年−20年前に比べて老年期でも上昇し、現在の70歳は以前の60歳の活動度に近いとも報じられている。定年も間もなく65歳から70歳になろうとしている。このため以前より長くなった老年期を楽しく過ごすことがますます求められている。しかし、体の衰えは避けられず、老化にともなう手足の痛みや血圧の上昇に伴う心臓や脳の機能に関わる危険も感じることは避けられない。
老化にともなって私たちの体に何が起きているのかに関して、最近の生命科学、医学の進歩には著しいものがある。ここでは、元気に老年を過ごすためにその進歩の一端を紹介したい。2023年のNature誌に発表された論文によると老化に伴う不調は、私たちの体にゾンビ細胞が生まれ、そこから毒のような因子が出ているためであるとする新たな発見について報告している(J. U. G. Wagner et al. Aging impairs the neurovascular interface in the heart, Nature (2023)381, p897-906)。ゾンビ細胞とはなんだろうか?
わたしたちの体を作る細胞は何度か分裂して新たな細胞を生み出すが、分裂回数には限りがあり、期限がくると老化細胞が自分自身で自分を壊す仕組み(アポトーシス、またはプログラム自死と呼ぶ)が作動する。結果として壊れた残骸は白血球が食してきれいに無くなる。しかし、細胞が老化する間に、老化細胞の一部の遺伝子が変異しアポトーシスが抑えられ、生き続けるものが出現することがわかってきた。この細胞をNature誌の論文ではゾンビ細胞と呼んでいる。ゾンビ細胞からはいろいろなタンパク質が放出され、SASP(Senescence associated secretory phenotype, 細胞老化にともなう分泌現象)と呼ばれている。特に分泌タンパク質の一つとして白血球を集める因子がゾンビ細胞から出てくる。この因子により集まった白血球がゾンビ細胞を食し除去しようとするが、ゾンビ細胞の周りの細胞にも損傷が起き炎症となる。具体的な例としては、変形性関節症があげられている。この病では老化に伴い足の膝が変形し痛くなる。これはゾンビ細胞のため膝に炎症が起こっているためである。高齢になると動脈が硬化して血圧も上がりやすくなるが、これも血管内皮細胞の老化とそこから生まれるゾンビ細胞から放出される因子により血管内皮細胞に炎症が起きるためである。最新の研究(上記、J.U.G Wagner等の論文)では、ゾンビ細胞から放出されるセマフォリンというタンパク質因子により神経細胞の伸長が抑えられ、心臓の鼓動を調節するのに必須である心臓に張り付く交感神経の量が少なくなることが明らかになっている。これはネズミを使った詳しい実験に基づいていて信頼できる。この減少のために心臓の働きは老化にともない低下することになる。
図 細胞のアポトーシスによる分解と食細胞による除去
図 細胞の遺伝子の変異や老化にともなう細胞のがん化やゾンビ化(老化)およびSASP(老化細胞からの毒となる因子の放出)
こう見ると、ゾンビ細胞をもし除くことができれば、老化にともなうさまざまな体の不調が減るはずである。実際ゾンビ細胞を除くための研究が世界で現在進んでいて、セノリシス(Senolysis)と呼ばれている。日本でもこれを目的としたクリニックができ、薬もできている。それでは、セノリシスとはどんなものだろうか。
老化細胞では自殺死(アポトーシス)を避けるように遺伝子に変異が起きてゾンビ細胞になる。一方、正常細胞では遺伝子に異常がおこり除去されるべくアポトーシスが起きるが、特定の遺伝子に異常が起きるとアポトーシスが起こらずがん細胞となる。この特定の遺伝子の変異による変化はがん細胞とゾンビ細胞では共通することが明らかになっており、このためにがん研究の知識がセノリシスには有効となっている。この細胞のがん化を起こす遺伝子の異常作用を抑える抗がん剤が開発されている。この抗ガン薬を人工的に作ったゾンビ細胞に加えると、がん細胞に起こるのと同じ様にゾンビ細胞が自死することが明らかになった(Senolytic therapies for healthy longevity, J. M. van Deursen, Science (2019) 364, p636)。すなわちセノリシスを実現したことになる。この薬を老化マウスに投与すると心臓への交感神経の張り付きの減少が抑えられる心臓が若返ることが見出されている。大阪大学の研究グループはセノリシスをめぐって全く別の発見をしている(Senolysis by glutaminolysis inhibition ameliorates various age-associated disorders, Y. Johmura et al. Science (2012) 371, 265-270)。ゾンビ細胞では、アミノ酸の一種であるグルタミンを分解する酵素が特別に増えていた。その結果細胞内ではグルタミンの分解にともないアンモニアが発生していた。このアンモニアにより細胞内はアルカリ化しゾンビ細胞で起きる死に至らしめる細胞内の酸化が防げられていた。これによりゾンビ細胞の細胞死(アポトーシス)が抑えられているとの発見である。細胞がゾンビ化すると細胞内が酸性化し易い一方で、グルタミン酸分解酵素が作られやすくなりゾンビ細胞は生き延びることになっていたのである。そこで、この酵素の合成をゾンビ細胞中で人工的に抑えると、グルタミンの分解が抑えられ、ゾンビ細胞は細胞内を中性に保てず死にいたった。これもセノリシスの新たな方法として期待されている。
図;老化にともなう膝の損傷、この周りにASAPの放出がある。
ここまで見た様に細胞の老化の機構とゾンビ細胞のことが大分明らかになっているが、身体全体の老化の機構はおそらく多岐に亘っていてまだわからないことも多い。しかし、今後薬を使えば膝の変形のような老化に伴う機能の衰えは抑えられそうだ。一方で、薬に頼らず老化を遅らせるように工夫することも多くの医師が勧めている。それは、一つは運動することであり、もう一つは食事に気をつけるという従来から推奨されていることである。