脳と心臓はどんな関係なのだろうか?
私たちは気持ちが落ち込んだりすると、風邪をひきやすいとか体のどこかに不調が起こったりすることを自身の経験から知っている。これに関連して病は気からという言い伝えがあり、これを現在の医学から解明しようとする試みもあり、以前に新情報としてこのHPに掲載した(新着情報2023年4月10日)。この中で、気分が落ち込む原因である自律神経の衰えと免疫力の間には科学的に関係があると記した。これをもっと大きな目で見ると、例えば、脳の働き(神経系)と心臓の働き(循環器系)に連携プレーがあるのではないかという疑問も出てくる。最近これに答える最新の研究が発表された。ここで、この最新の生命科学の進歩について紹介したい。
図:脳と心臓内部の各所は、MRIにより詳細に構造が明らかになっている。
体の内部の状態は、X線などで透視して調べることができるが、MRI(核磁気共鳴法)と呼ばれる方法によってもできる。この方法は、X線ではなく、磁石を使って体に外部から磁気をあてる。この磁気に反応して体の内部の水分子から電磁線がでる。これをを可視化し、体の内部の水の存在状態から臓器の微細な形や構造を目で見るようにする方法である。MRIは今では健康診断にも使われている。この方法で、臓器内のがんの存在や、脳の内部状態(大脳皮質の内部の神経細胞の密度、脳室の大きさなど)を調べて老人性の痴呆や、脳梗塞の有無などを調べることができる。脳の形状と脳梗塞、さらには統合失調症や鬱との関連も知られてている。イギリスでは、一般の人を対象にしてこのMRIによる臓器の個人毎の形について大きなデータベースが構築されている。この情報を使って、脳の内部の形と脳の病気、精神的な疾患との関係に関する研究が行われている。また、心臓についても同じような個人的データが集められ、心臓の心室、心房、動脈の形や心臓の壁の筋肉の厚みと、心筋梗塞や心房細動との関連などに関するデータベースも存在する。
米国のペンシルバニア大学のデータ解析部門のB. Zhao博士らの研究グループは、心臓の状態と脳の状態がお互いに影響するのではないかと考え、上に記した心臓と脳の形状に関する公開された個人データベースにある4万人ほどの例を用いて解析し、関連があるとの結論を得ている(B. Zhao, et al, Heart-brain connection; phenotypical and genetic insight from genetic resonance, Science (2023) 380, p234)。
脳の形と心臓の状態を関連づけるために、Zhao博士らはデータベースの各個人の遺伝子DNAの情報を用いている。ヒトの遺伝子は30億ほどのヌクレオチドという部品からできている。この部品の並び方が遺伝情報であり親からもらう体を作る設計図となる。ただし、このヌクレオチドの並び方は兄弟姉妹でも少しの違いがある。30億の配列のなかで、違いは1000万箇所ほどあり、これが個人の違いの元になる。SNP(single nucleotide polymorphism)と呼ばれ、指紋のようなものである。ただし、ヌクレオチドはA、G、C、Tの4つしかないので、各SNPはこの4つのヌクレオチドのどれかということになる。上記の心臓や脳の形のデータベースに登録された個人については、そのDNAの30億の塩基配列情報も登録されている。
図;ヒトの全遺伝子群ゲノムに体の設計図がある。
そこで、B. Zhao博士らは、心臓内部の形状について80箇所の部分に注目し、その部分の形の特徴を調べ、それぞれについてその特徴を共有するヒトを探し出した。さらに特徴を共有するヒトのDNA(遺伝子)のSNPを比較し、同じようなSNPの共有部分はないか調べ, 同じ部分(SNP)が共通にあることを見出した。もちろん、このような膨大な情報は最新のコンピューターがなければ成り立たないし、解析にも専門家が必要である。実際、B. Zhao博士は大学の統計とデータ解析部門に属している。80箇所の心臓や血管の構造の特徴は,こうしてDNA(遺伝子)の特別な部分(SNP)に関係していることが発見され、その遺伝子(SNP)の位置を明らかにした。同じようにしてZhao博士らは、脳の内部の特徴的な構造を共有するヒト全遺伝子配列を比べ遺伝子の配列の特徴(SNP)と関連付け、共有する遺伝子の位置(SNPの場所)を決めた。心臓と脳の両方に関連する遺伝子(SNP)の位置が明らかになると、心臓のある形の持ち主たちは、脳の形状の特徴も共有することが期待される(その逆も成り立つ)。
図;DNAはヌクレオチド(赤または青で示す)がつながり、2本鎖である。
図;DNAはヌクレオチド(A, G, C, Tで示される)が30億並んでいる。1000箇所でヒトにより異なりSNPと呼ぶ。
図;ヒトのDNAは23本に分断されていて、この中のどこに体を作るタンパク質の遺伝子があるか明らかになっている。SNPの位置も示されている。
実際にこの研究では、この予見が当たっていることを示している。例えば、心臓の血管壁が厚いヒトは、心臓のポンプ機能が低く血流が順調ではないなどの傾向があり、さらに脳にも共通した形状が見出され脳梗塞になり易かったりしている。これらの発見から脳の健康の維持には、心臓の機能(形)が関わることを遺伝子のレベルで議論できるようになった。すなわち、わたしたちの臓器がお互いに関連して健康状態を決めているという私たちのこれまでの個人的経験が、初めて科学的に正しいことが示されたとも言える。これから、心臓や循環器の不調があると、神経系のある種の病気の危険性があるなどの予見ができるかもしれない。この逆として、脳の不調から心臓や血管の不調を予言できることになる。今後、心臓と脳に共通に関与する遺伝子(SNP)がどのような機能をもったタンパク質の合成を指令するのか解明されれば、それに応じた薬も開発されるかもしれない。
このように、現在、コンピューターの発展により多くのヒトの体内の微細な情報や特徴が集まり、これを解析することで、これまでとは次元の異なる病気の解明に関する大きな進展が期待できそうである。