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母親からの遺伝とは?

私達人間は父親と母親が子供のために複製した遺伝子一対を受け取る。それぞれが精子と卵子にある。これらが合体し子供ができるので、子供は両親の遺伝情報を受け継ぐことになる。誰でも知っていることである。しかし、一部の遺伝的な性質は母親だけからもらう。これを母性遺伝という。ここでは、最近(2022年5月)世界的に権威のあるイギリスの科学雑誌Natureに発表された母性遺伝の重要性について触れた論文を紹介したい。

 このNature誌掲載の論文(Maternal inheritance of glucose intolerance via TET3 insufficiency. B. Chen et al. Nature (2022)605, p761-766)では、糖尿病の母親から生まれる子供は糖尿病になるリスクが高く、その科学的な根拠となる新事実について述べている。この点を理解するために、糖尿病についてすでに明らかになっている点についてまず触れたい。糖尿病は、血中のブドウ糖の血液中の量が100mg/dl以上となるもので、その副作用として目が見えなくなったり、脳溢血になったりする病気である。この欄にも以前に触れたように(2021年11月8日新着情報参照)、食べ過ぎによるものが原因のかなりのものを占め、そのために生活習慣病とも言われている。この病になると血液中のブドウ糖量を低下させるホルモンであるインスリンを注射することになる。食べ過ぎにより血中ぶどう糖量が増えるのが常態化すると、インスリンの膵臓からの分泌が低下し、発病に至る。

 それでは、糖尿病を発症していたり過剰な栄養摂取で肥満となっている母親から生まれる子供は、なぜ同じように糖尿病になるリスクが高いのだろうか。この論文によると、インスリンの分泌に必要な幾つかのタンパク質の量が母親から引き継がれた子供の中で減っているためである。この現象は、インスリンの分泌に必要なタンパク質の遺伝子を働かせるためのスイッチの役をするタンパク質の量が卵子の中で減少しているからであるという(下の図を参照)。この減少は、母親の卵子の中で血中のぶどう糖が過剰なために起きる。

  受精は卵子と精子の合体であり、卵子に精子の細胞が入ることによる。この時、精子から卵子に持ち込まれるタンパク質は極めて少ないが遺伝子DNAは細胞に入る。この遺伝子DNAはほとんどメチル基が結合しタンパク質合成のシグナルになれない。受精直後のさまざまな受精卵内のできごとを行うタンパク質は卵細胞の中にある母親由来のタンパク質である。タンパク質がDNAの情報にしたがって作られる過程(転写という)ではDNAの情報のコピーであるRNA(mRNA)が作られる。転写のスイッチは、DNAの状態に依存している。DNAにメチル基がついている状態では転写量は少なく、結果として当該のタンパク質量も少なくなる。一方、メチル基が脱メチル酵素によってなくなると転写は多くなり、できるタンパク質の量も増える。このメチル基の脱離に関するタンパク質の一つであるTET3と呼ばれる遺伝子から作られる脱メチル化の酵素の量が糖尿病を発症する母親の卵子の中では少なくなっている。このため、父親由来のDNAの脱メチル化が低下し、インスリンの細胞からの分泌に必要な酵素(グルコキナーゼ)の合成が低下する。母親のTET3は低下していると考えられるが、仕組みについては詳しく述べられていない。しかし、母親の由来である卵細胞において父親のDNAの脱メチル化の低下がおき、受精卵からさらにその後の出産後の子供にその影響が及ぶというのが上記の論文の結論であり、新発見である。ネズミを使った実験だが、糖尿病の女性では、TET3が低下していることやネズミを使った実験で、人工的に糖尿病を起こしたネズミの受精時にTET3の遺伝子産物のタンパク質の合成を遺伝子工学を使い人工的に増加させことにより子供が糖尿病になる確率が減ることも示してあり、説得力があう。このように、母親の体調(血中のブドウ糖が過剰)が生まれてくる赤ちゃんの作るタンパク質の量に影響することは、とても重要な知見であり、病気の予防の観点からも大切なものである。

インスリン分泌低下の糖質過敏性母親からの影響;父親の遺伝子の発現低下
ミトコンドリアの母性遺伝

なお母性遺伝については、ここで述べた新知見より前にすでに面白いことが分かっているのでついでに紹介したい。われわれの細胞の中にあるミトコンドリアは自前の遺伝子DNAをもち、コピーとなるミトコンドリアを複製する際の遺伝情報を自前で提供する。受精に際し、卵細胞に入る精子の細胞からのミトコンドリアは卵細胞のなかで積極的に壊されてしまうことが分かっている(ミトコンドリア母性遺伝のメカニズム、オートファジーによる父性ミトコンドリアの分解、佐藤美由紀、佐藤健、群馬大学 生体調節研究所、最新医学 (2017) 72, p211-217)。したがって我々の細胞のミトコンドリアは母親からもらったものが主なものであり、母性遺伝である。この知識に基づき、古代の人の残された細胞からミトコンドリアを取り出し、そのDNAの情報を調べる研究が進んでいる。その情報を時代と場所を考慮して研究すると、いまの人類であるホモサピエンスの源流は北アフリカにあり、最初のホモサピエンスの母親はモロッコあたりにいたという。ミトコンドリアのDNAには変異が起こりやすいことも分かっている。ミトコンドリアの遺伝子に異常がおきると、エネルギー源となるATPの産生が減少する病を起こすことがあり、ミトコンドリア病という。 いずれにしても、母親、特に妊娠した女性の体調は卵子や生まれてくる赤ちゃんの体調に影響するというのは、今回の科学的な発見を目の当たりにして、納得する。