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香りと生活

  淡路島の北にある夢舞台には、素晴らしいバラ園がある(奇跡の森の植物園 http://www.kisekinohoshi.jp/)。5月の末の最盛期には沢山のバラの花があふれ、花園は良い香りに包まれる。香りといえば、淡路島には線香などを含めて香を産する産業があり、日本の香生産の70パーセントを占めている。また、日本の香の文化と歴史の始まりの地だと言われる(https://www.kunjudo.co.jp/incense/)。西暦545年に淡路島の西の海岸に香木が流れ着き、これを燃やしたところ良い香りがした。これを聖徳太子に伝えると、香木(沈香)と認定しこの木で仏像を作ったと言われている(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E9%A6%99%E3%81%AE%E6%97%A5)。この流れ着いた香木は、ご神体として淡路市にある枯木神社(淡路市尾崎)に祀られている。聖徳太子は朝鮮半島から取り入れた仏教の布教に尽力し、この際に寺でお香を焚くことも広めたと言われている。良い香りは、人を癒すことはよく経験するところである。

淡路市枯木神社

   ここでは、香りの生物学や癒しとの関係について紹介したい。さらに香りと淡路と人の関係にも触れたい。香りは言うまでもなく臭いの一種であり、低分子量の揮発性の有機物質であることが多い。アロマテラピーに用いられるラベンダーの香り成分は精油と呼ばれる抽出液に入っており、リナロールや酢酸リナリルなどの化学物質が臭いの元である。レモンの香りはリモーネンと言う物質であることも知られている。嫌な臭いといえば、アンモニアが代表かもしれない。これらの物質は、鼻の奥の上部にある臭い上皮と呼ぶ部分に結合する。ここには粘液が出ており、これに臭い物質は溶ける。またこの上皮には臭神経細胞が並んでいて、この細胞から臭小毛と呼ばれる毛が細胞の一部として突き出ている。この毛の表面の細胞膜には、細胞毎にそれぞれ一種類の臭いの物質を結合する受容体タンパク質が埋め込まれている。この受容体タンパク質は、人では350種類、犬では1000種類あるという。犬の方が臭いに敏感であるのは、これを見れば理解できる。ところで、我々が感ずる臭いは350種類どころではない。一説では、1万種類ぐらいの人が識別できる臭い物質があると言われている。ではどのように350種類で対応しているのだろうか。

ラベンダーに含まれる臭い物質リナロール
臭受容体と神経 東邦大学理学部参照
臭い情報(信号)の大脳嗅覚野への投射模式図

アロマテラピーを研究する昭和大学医学部の塩田清二教授は、受容体のことや臭神経のことなど、さらにアロマテラピーについて理解しやすい新書本を出版している。(塩田静二著、 香りはなぜ脳に効くのか。NHK出版新書 385)。これによると、一種類の受容体タンパク質は化学構造的に似た複数の異なる物質を結合できる。ただし物質ごとに受容体の結合力は異なっている。また結合の強さにより発生する神経シグナルの強弱が異なる。鼻の奥の上皮には臭受容体を含む神経細胞(受容体)は1千万ぐらいあり、この神経細胞は複数が束になって結合し様々な臭いのシグナルを大脳の皮質にある辺縁部と呼ばれる部分に送る。これを大脳への匂い情報の投射と言い、投射によりわれわれは初めて匂いを感じることができる。一つの匂い物質は1千万の受容体の幾つかに同時に結合するわけだが、その大脳への投射のパターン(匂い物質が結合した結果の投射の分布状態地図)は、多様な匂い物質があるので、匂いごとに違いが出る。これが、多様な臭いを感ずるメカニズムと言える。物質ごとの結合のパターンは匂い地図と呼ばれ、現在も物質ごとにこれがどのようなものか研究されている。

大脳皮質の辺縁部に到達した臭いの情報は、さらに辺縁部の下の脳の最も奥底に位置する視床という人の体のコントロールを行う上での中心的構造体(司令塔)にも伝わる。さらに情報は視床下部から自律神経系に送られる。人は悪い臭いが来れば自律神経系の一種の交感神経が興奮し、臭いを避けるように筋肉が作動する。一方良い臭いが来れば自律神経系の一つである副交感神経が刺激され緊張が緩むことになる。これで心も癒されることになる。これらの詳細な仕組みを見ると、気分を変えることをある程度理解できる。さらに匂いの情報は辺縁部にある記憶を司る海馬や情動に関係する扁桃体と呼ばれる部分にも送られる。この情報伝達が結果として匂いの記憶、思い出を生み出すことになる。

ちなみに、臭い物質を結合する臭受容体タンパク質の遺伝子を初めて発見したのは米国のR.AxelとL. Buckである。彼らが1991年に発表した研究結果(Cell (1991) 65, 175-183)は臭いの分子生物学や医学に新たな扉を開いた。このために、この二人の研究者に2004年にノーベル医学生理学賞が授与されている。臭いの生物学は人間の5感の中では研究が最も遅れた分野であったと言われるが、AxelとBuckの研究以降現在では多くの研究者が臭いの受容と神経系への臭い刺激の伝達の仕組み、さらにこの刺激の脳における認識の仕方や記憶、また自律神経への影響による体調との関係について研究している。日本でも北海道大学(https://www2.sci.hokudai.ac.jp/sai/2806)、東京大学(http://park.itc.u-tokyo.ac.jp/biological-chemistry/)、東邦大学(https://www.toho-u.ac.jp/sci/bio/column/035599.html)、大阪大学(https://www.humanware.osaka-u.ac.jp/professor/kurahashi_takashi/)、東工大(http://silvia.mn.ee.titech.ac.jp/html/index.html)をはじめとする多くの研究機関で研究が発展している。

研究の一端を見てみよう。上記のように、匂いの情報は大脳の下に位置する視床下部に到達する。臭いの種類によって視床下部は脳下垂体からのホルモンの分泌をコントロールする。具体例を挙げてみよう。癒しを起こすラベンダーの香りを嗅ぐと平均血圧も最高血圧も低下し、リラックスした気分になる。これはラベンダーの香り刺激が視床下部を経て脳下垂体に及び、脳下垂体からの副腎皮質ホルモン刺激ホルモンの分泌を抑制するからである。この結果、副腎皮質からのホルモンであるグルココルチコイドの分泌の抑制が起こり、副交感神経系が優位になる。結果としてリラックスした気分になると推測されている。一方アンモニアなど嫌な臭いはストレスになり、香りと同じような経路を経て脳に刺激が伝わる。しかし、グルココルチコイドというホルモンがラベンダーとは異なり分泌され、交感神経が興奮し、脳内の海馬が萎縮し、ひどくなればうつ状態を起こす。ラベンダーやヒノキなどの良い香りはこの状態を和らげる。これはこれらの香りにより、神経細胞を元気付けるホルモン(NGFR, BDNF)の産生が促され, 神経細胞の萎縮がおさえられるからだという(ラベンダーの香りがストレス負荷時の睡眠中の自律神経活動に及ぼす影響、左達洋美他、富士山研究第6巻 p9)。

ここで淡路島での香りの生産の話に戻ろう。日本で最初に香木が見つかった近くにある淡路市の江井には、江井在住の田中辰造  (https://www.chuokai.com/wp-content/uploads/2014/02/hyogosenko_torikumi260207.pdf)によって線香の生産技術が1850年に大阪の堺からもたらされた。以来江井では徳島の杉の葉を練り込んだ線香の生産が発展した。その後、生産は日本一の規模になり現在も多くの工場があり、日本の香り100選の地の一つに選ばれている。江井に工場を置く薫寿堂のホームページ(https://www.kunjudo.co.jp/)には、香に関する歴史、香り成分の説明などが詳しく述べられている。さらに、工場の見学も可能である。この情報によれば、日本の香の歴史は仏教と密接に関連していることがわかる。線香の香りには香木の香りが含まれ、これは慈悲の心、癒しの気分を盛り上げる。煙はこの癒しが平等に行き渡ることを象徴的に表している。仏事の際に備える“香典”は、香りの仏事との関連や文化としての重要性を示唆している。平安時代には、香りは貴族の楽しみになり、異なる香りを混ぜて楽しむ“香り合わせ”が流行ったという。その後、単一の香りを楽しみ、香りを当てる“聞き香”の文化が生み出されることになった。

香りには、植物性と動物性がある。香木である伽羅(キャラ)は原産地のベトナムを意味し、植物性の香りの代表である。動物性の代表は、麝香であり雄の麝香鹿の香のうが本来の原料であった。しかし現在では保護のために原産のインドや中国からの輸出は禁止され、人工化合物が化学合成されて使用されている。これらの香り以外の最も身近なものは、ハーブの香りである。すでに述べたラベンダーはその代表である。さらに金木犀、ゆずなど様々な癒しの香りを今は楽しむことができる。

淡路島香りのパルシェにあるハーブ

香りと深く関わる淡路島には、“淡路市の香りの公園”(http://www.eonet.ne.jp/~kaori-park/ )と“パルシェ香りの館”(https://www.parchez.co.jp/)があり、たくさんのハーブや臭いの木が植えられている。淡路島ならでわの香りを楽しむことができる特別な場所である。パソナハートフル社(www.pasona・heartful.co.jp)では、“才能に障害はない”を合言葉に、障害者の方が淡路島のアート工房で働いている。彼らは、淡路島産のラベンダーを使い精油を抽出し販売している。地方創生は、その土地の特別な歴史、産業などに基づくべきという意見が実際に地方創生活動に携わる人の間では共有されている。淡路島には、香りの産業という地元に特徴的なものが、歴史とともに息づいている。ますますの発展を期待したい。