腸内細菌と免疫系は密に関係する。感染症の予防へ向けて
現在の世の中は腸と健康をめぐる話題に溢れていると言っても過言ではない。腸内細菌を維持することが、体全体の健康の維持にはとても大切であることが語られてすでに30年以上は経過している。このため、ヨーグルトを継続的に摂取し、腸内細菌、特にビフィズス菌や乳酸菌を確保することが重要であることが指摘されている。ここでは、改めて腸内細菌と健康の関係を専門の研究者の論文を参照して、科学のレベルで腸内細菌の効用に関してどのような進歩があるのか復習してみたい。
そもそも腸内細菌とはどのようなものかに関して、この分野の世界の代表的研究者である光岡知足東大名誉教授が、“腸内細菌研究の歩み”と題する総説の中で述べているので見てみよう(腸内細菌叢研究の歩み、光岡知足、腸内細菌学雑誌25(2011) p113)。それによると、細菌が微生物として認識されたのは1850年ごろのフランスのパスツールによる。パスツールはそれまで明確に生き物と認識されていなかった酵母菌を生き物と認定し、その働きにより葡萄酒が葡萄糖からつく出されることを示し、目に見えない細菌や微生物がヒトにとり大切であることを初めて明確にした。パスツールにより微生物の殺菌方法が確立された。これを用いて、無菌の状態の寒天培地が作られ、それに病人の排泄物を塗って生ずるたくさんの粒状の点が一つの細菌に由来することが明らかになった。さらにこれを用いて純粋に病原菌を見つける方法が1900年ごろドイツのコッホにより確立された。この方法により、コレラ菌、赤痢菌などの多くの病原菌が発見されると、細菌は病気との関わりで人々に強く認識されてきた。一方、細菌の有用性についてはヨーグルトの中の乳酸菌がヒトの長寿と関係することが1907年にメチニコフによって指摘された。その後今に至る100年の歴史で、さまざまな細菌に関して科学的な発見があったが、腸内にはヒトに有用な善玉菌と有害な悪玉菌がいることが見出された。1960年ごろのことであり、光岡教授らの研究によるものである。
こうした成果をもとに、腸内には数兆個の細菌、古細菌、ウイルス、ファージなどの微生物がヒトと共生していることが明らかになった。これらの腸内細菌の内の善玉(ヒトにとって有益という意味がある)となる細菌(ビフィズス菌や乳酸菌など)は、ヒトの消化できない食物繊維(多くは野菜などに含まれるヒトが分解して利用できない多糖類)を分解し栄養としている。この分解により短鎖脂肪酸と呼ばれる酪酸、酢酸、プロピオン酸など生まれ、腸の外へ腸管の特別な部分を経由して分泌される。そこには、免疫細胞が待ち構えている。腸は、口から入ってきた病原菌や栄養物質、ある時は毒物など外部からの異物が、我々の体により初めて識別されるとこである。外部からの異物を排除する仕組みである免疫細胞の多くは白血球の仲間であるが、全体の7割近くが腸の周りにいる。これは、理にかなっている。短鎖脂肪酸はこれらの白血球の働きを活発にしたり、白血球細胞の機能を変化させるスイッチになったりして、外部からの異物を排除することができるようする。(腸内細菌と免疫系の接点、飯島英樹、清野宏、腸内細菌学雑誌、(2014)35, P.205)。
悪玉菌としては、ウェルシュ菌、ブドウ球菌、大腸菌、緑膿菌などが代表的である。 体調が悪く、善玉菌の栄養となる食物繊維の摂取が少ないと善玉菌が少なくなり悪玉菌が多くなる。すると腸内での腐敗が進み一部は腸に炎症をおこし、腸内環境がアルカリ化していく。また、炎症がひどくなると、白血球がさらに集まり、重症な腸炎となる。これは慢性的腸炎やクローン病のような自己免疫疾患につながると考えられている。 数年前にNHKは“腸内フローラ解明 驚異の細菌パワー”と題する特別番組を放送し、内容を単行本として出版している(腸内フローラ10の真実、NHKスペシャル取材班著、主婦と生活社(2015))。この冊子では、腸内細菌が食物繊維から作り出す短鎖脂肪酸の新たな機能的役割についてまとめて紹介しており興味深い。それによれば、短鎖脂肪酸はわれわれが太る原因となる余分な食事のエネルギーを溜め込む脂肪細胞に影響し、余分な糖質の細胞内への吸収を抑え痩せることに寄与する。また、腸に張り巡らされている自律神経の一つである副交感神経を活発にし、精神状態の安定化にも寄与するという。短鎖脂肪酸はまた白血球の仲間で炎症を抑える役割をする細胞(Tレグ細胞という)を誘導する能力も持っている。慢性腸炎などは、白血球がたくさん集まりすぎることによることが報告されている。Tレグ細胞は、この炎症を招く白血球の増加を短鎖脂肪酸の誘導によって抑えることが報告されている。
図 腸内細菌と免疫の接点 飯島英樹、清野宏 腸内細菌学35, (2021) p205より引用
現在さらに詳しい研究が腸内細菌と短鎖脂肪酸の役割について進んでいる。例えば、短鎖脂肪酸は、腸管の表面の細胞膜から飛び出ている糖の分子、特にアルファフコースと呼ばれる糖分子を作り出すこと(誘導)に寄与するという最新の研究結果が千葉大学のグループから発表されている((Y. Goto et al. Innate lymphoid cells regulate intestinal epithelial cell glycosylation, Science (2014) 345, 1254009)。このフコースがあると、腸管の表面にあるムチン層と呼ばれるネバネバした層が増強され、病原性の細菌が腸内から体内に入り込みにくくなり病原菌の感染を防ぐことができる。このフコースの誘導では、腸内細菌の生み出す短鎖脂肪酸がまず免疫細胞に働きかけ免疫細胞からタンパク性の因子が放出され、この因子が腸管細胞に働きかけフコースが出来るという順番である。この研究から、腸内細菌、免疫細胞、腸管の上皮細胞はお互いに影響しあって病原菌の感染に対抗していることが明らかになった。なお、フコースは、善玉菌により切り取られ、その栄養にもなる。 腸内細菌の重要性はここに述べたように日々に明らかになっている。特筆すべきことは腸内の細菌は一種ではなく複数種がお互いに影響しあって生きていて、さらに腸管細胞とも連携しており、その結果良好な腸内環境(腸内フローラという)が作られているということである(腸内フローラ10の真実)。その詳しい全体像が明らかになるには、まだ時間がかかるであろうが、腸内細菌群(叢)はヒトと共生しており、もはやヒトの体にとって一つの臓器のような役割を持っているということである。このため、すでに報告されているように、健康なヒトの腸内細菌群を腸や神経系の病のあるヒトに人工的に注入し、病状を改善する医療がアメリカでは進んでいるという。