老人性痴呆症のアルツハイマー症における認知力の低下に効果のある新物質
少子高齢化は、淡路島はもとより日本の抱える最大の問題の1つであることはこのHPでも何度も触れてきた。特に加齢にともなう記憶力の低下や、手足の動きの低下は避けられないので、少しでも改善の手立てがあれば大いに歓迎したいことである。現在65歳以上の老齢者の4人に1人は、認知症またはその予備軍と言われている。特にアルツハイマー症は認知症の6割を占め、症状の治癒や改善のための医薬には大きな関心が持たれている。最近の研究成果で、このアルツハイマー症を抑制する機能をもつ新物質が報告されたので紹介したい(Restoring hippocampal glucose metabolism rescues cognition across Alzheimer’s disease pathologies, P.S. Minhas, et al. Science 385, Aug. 23 issue, 2024)。
まずアルツハイマー症とはどのような病なのか既に明らかになっていることを顧みて、どのような克服の工夫がなされているのか観てみよう。アルツハイマー症では、脳内の神経細胞にアミロイドベータ(Ab)と言われるタンパク質が塊となり結合し、神経細胞の機能が失われていく。特に大脳内で記憶に関わる海馬(Hippocampal)と呼ばれる部分の神経細胞への蓄積が問題となっている。このためアルツハイマー症では記憶力の低下が指摘されている。このAbは脳内で正常状態でも産生されいずれ分解されて排除されるゴミのような蛋白質とされているのだが、まだ解明されていない理由で蓄積が突然に起き記憶の低下を引き起こすと考えられている。このタンパク質に特異的に結合する抗体を作り脳内で作用させれば、免疫反応でA b—抗体結合物は排除されるはずである。実際、このような抗体が作られアルツハイマーの初期段階で患者に投与したところ、病気の進行を若干だが遅れさせることができ治療薬として早い段階でのアルツハイマー疾患の治療に使われ始めている(ドナネマブ、イーライリリー社)。しかし、Abの蓄積と神経機能の低下の相関の詳細は不明のままであり、病状が進行した場合には、抗体薬も効果がないと言われている。現在の治療薬としては、アルツハイマー症の進行が中程度になった段階で神経伝達の機構に関わるアセチルコリンを分解するエステラーゼという酵素の働きを抑える薬物が使われている。これは、この薬の投与で病気の進行にともなう神経機能の低下が抑えられるためだが、副作用が強いことが知られている。また、病気の根本原因を減弱するわけではないので問題が残されている。
こうした中で、スタンフォード大学医学部のP.S.Minhas博士らはこれまでの対症療法とは異なって、より病気の根本につながる発見に基づく新薬の可能性について最近報告している(P.S. Minhas et al. Science誌、上記)。この発見について見てみよう。まず、神経には神経細胞とそれを維持するために必要なグリア細胞があることを思い出して欲しい。グリア細胞は神経細胞に密に結合し神経細胞に栄養を補給する役割がある。神経細胞が働くにはエネルギーが多量に必要であり、エネルギーを溜め込んだ物質ATPをたくさん必要とする。今回の論文では、以前から見つかっていたグリア細胞(アストロサイトという仲間の細胞がある)が神経細胞内では作られない乳酸を作り神経細胞へ外から供給し、神経細胞のATPの合成を促進することに注目した(図参照)。なお、アストロサイトに溜められたグリコーゲンが乳酸合成の大きな元となる。乳酸からピルビン酸というATP合成に必須な物質が作られるが、神経細胞ではこの仕組みが弱く、エネルギー不足を招く(夏堀晃世、脳のエネルギー恒常性を担うロジスティック機構、日本神経回路学会誌、28巻(2021)p87)。
図。脳の中には神経細胞とグリア細胞(星状膠細胞(アストロサイト))があり、エネルギー源ATPが作られる。グリア細胞からは乳酸が分泌される。
図。 アストロサイトから乳酸が分泌され、神経細胞にエネルギー源として取り込まれる。
そこで、Minhas博士らはグリア細胞で乳酸がさらにたくさん作られれば、神経活動が活発になり、アルツハイマー症で起きている神経活動の減退を補い、症状を改善できるのではと考えた。そこで、グリア細胞の中でピルビン酸が作られる解糖系と呼ばれる代謝経路の酵素群の合成を抑えているアミノ酸の一種のキヌレニンが知られていたので、これに注目した。キヌレニンはIDO(インドールオキシゲナーゼ)により細胞内でトリプトファンから合成される。そこで、この酵素の機能を抑える働きがあるPF068と呼ばれる化学物質をグリア細胞や、アルツハイマーを人為的に起こすように作った鼠に薬として投与してみた。その結果、グリア細胞での乳酸の合成が高まり、細胞外への分泌が増加した。さらには神経細胞への乳酸の受け入れも増加することが確認できた。またアルツハイマーの症状を示す実験的に作られた鼠にでは、実際にアルツハイマーに見られる記憶力の低下が明らかに軽減することが確かめられた。
今回発表された研究成果は、これまでのアルツハイマー症の疾患に使われている薬とは全く異なり、より病気の根源に迫る治療を可能にする点で今後実際に薬として市販されることが期待される。なお、この薬の作用で神経機能が増強されることから、パーキンソン病などの老人が罹患する神経機能の劣化の病にも有効的ではないかと述べられている。