
淡路島のお米と玉ねぎと牧畜のユニークな連携
今年のお米の不足と高値はすでに予測されていたとの報道がある。3年前から外国からの観光客によるものを含めて米の消費が増加したからである。ここにきて日本の米の品質や特徴が見直されているため米の輸出も盛んになっている。米の消費は1960年台では一人の年間消費はほぼ120kgだったのに対して45年後の平成17年(2005年)には61kgまで減っている。ほぼ消費は半分になっているのだ。それに伴い水田も減り続け、米価を維持するために取られた減反政策では米を作らないで補助金がもらえたのである。淡路島の山の上の林の中を歩くと、こうした政策により顧みられない水田の名残が草で覆われている。また、少子高齢化で稲作を継承できなくなっていることも、稲作の減少に寄与している。こうした事態に昨今の事情により急に稲作を増やすのは可能なのか、心配ではある。2018年に減反政策は廃止されているが、今年になってむしろ増産政策が議論されている。

図 日本における米の個人消費の変化 (農林水産省 HP)
地方の活性化には稲作のある程度の復活は不可欠だが、やはり農業自体が、経済的に生産者の生活を保証するものにならない限り難しいであろう。自動車を1台生産して得る利益が300万円として、これを稲作で得ようとするとどのくらい広い土地を耕作し、その手間はどのくらいなのか、都会で仕事をする人にはなかなか想像できないであろう。およそ1000坪(10アール)の水田を耕作し300万円の利益になるが、経費が302万円かかり米の生産だけでは生活できない。多くの農家は野菜や果物を作り利益をあげたり、会社や工場の仕事と兼業して生活している。
島である淡路では南の三原平野と中央部の山間にある鮎原地区で稲作が行われている。特に鮎原のお米は美味しいとの評価がある。JA日の出農協によるとコシヒカリから品種改良されたキヌヒカリが生産の中心となっている。淡路島では米を作れない冬や春に水田で玉ねぎの生産を行い、2毛作が盛んである。またさらにレタスの栽培を米と玉ねぎの作付けの間に行う3毛作も行われている。

図 淡路島のキヌヒカリは美味しい。
そもそも玉ねぎ作りは明治時代の1900年ごろに始まったと言う。その後、秋に植え、越冬後の春に収穫するのに適した品種、“淡路中甲高種”が品種改良で生み出された。なお、この品種はその食感などが良いので日本中で栽培されているとのことである。また、生育時期の異なる早生、中生、晩生の3品種もでき現在に至っている。収穫後は、南あわじでは島の南端の諭鶴羽山(ユズルハサン)から降りてくる風に当てることで甘味が増し、有効成分であるクゥエルセチンの量が1.6倍ほどになるという。風に晒すための玉ねぎ小屋は、南淡路の特徴ある風景となっている。

図 玉ねぎの植え付け、水田であった土地に水を抜いて牛糞を撒いてある。


図 みなみ淡路玉ねぎ小屋 (農林水産省、日本農業遺産より引用)
レタス栽培も米作りの後に盛んになっているが、これにより同じ水田での3毛作という連作となる。この連作で水田の養分は大丈夫なのだろうか。この養分を補うために南淡路では、明治以降盛んな牧地による牛の糞が重要な栄養源として水田に撒かれている。明治の初めから稲作の養分であった牛糞は、玉ねぎの栽培にも必須である。このように稲作、玉ねぎと牧畜の連携は日本の農業遺産としても登録されている特徴ある農業である(農林水産庁HPより)。

図 淡路島の肉牛の飼育
淡路農業を見る場合、水のことは最も大事なことである。南あわじの諭鶴羽山の中にはいくつかの川が流れている。その中に、長い谷があり川は堰き止められて池になっている。谷池という。これが一連の溜池の最初のものであり、川を下ると耕作地の近くに別の溜池があり、皿池という。こうした溜池の水の耕地への放流は管理されており、管理者は田水(たず)と言う名で呼ばれている。水の利用を仲間で管理するコミュニティーがあるのである。

図 淡路島の至る所にある溜池(皿池)

図 諭鶴羽山中の溜池 (谷池)
ここまで触れた淡路農業の特徴については、農林水産省の日本農業遺産に認定されていて、詳しく述べられているので参照をお勧めする(南あわじにおける水稲・たまねぎ・畜産の生産循環システム、日本農業遺産、農林水産省)。この遺産には農業のみでなく、農業の基盤となる自然環境や文化についても触れている。淡路島の人々の働き方を見ると、70歳以上でも同じ年の半分ぐらいの人が、農業や水産業に関わって生計を立てているのに気づく。これは、淡路島の農業環境と深い関係がありそうであり、高齢者も働ける素晴らしい環境と言えよう。これまでここで触れた淡路島の特徴ある農業が今後も維持され、素晴らしい玉ねぎに加えて、お米の生産も応援できればと願う。