ヒトはどこから来たのか?
淡路島の南あわじ市にある三原平野では、2000年ほど前にあった弥生時代の農耕地の跡が発掘されている。現在も淡路では稲作が南の方の中心産業である。一方で北部では海人族と呼ばれる海を生活の糧にする人がいたことが遺跡の発見から明らかになっていて、北部の産業の中心は現在でも漁業である(淡路読本、淡路読本編集委員会著)。こうした古代のヒトたちの起源はおそらく紀元前2000−3000年前に大陸から稲作の技術をもって日本に移住したヒトたちである(日本人の源流、斉藤成也著、(2022)河書房新社)。考古学による遺跡の発掘の証拠から瀬戸内海を超えて本州から淡路島、四国に人が移動することは、古代においても大きな障害ではなかったことがわかっているので、淡路人の元となる人々は古代でも日本の他の地域の人々と区別がないと言える。
それでは日本人全体はどこから来たのだろうか?現在の研究では、最初は氷河時代であった1−2万年万年前に氷のはった東シナ海や日本海を渡って日本に来たと言われる。その子孫がアイヌ人や沖縄人ではないかと遺伝子の解析から提唱されている。その後、上記のように2度目の大陸からの移住が、1度あるいは2度紀元前2000年−3000年前に起こったとされる(日本人の源流、斉藤成也著)。
そもそも地球上のそれぞれの場所に住む人々の祖先はどこにあったのかという疑問に応える研究は世界的に進められている。それによれば、7万年前にアフリカの中央部から現在のヒト属であるホモサピエンスの起源となる人々が類人猿、原人へと進化して生まれた。その後彼らはおそらく気候変動で食料に困り、アフリカから他の世界に現在の中近東を経て3−4万年前に移動したと考えられている。なお、いろいろな証拠から世界各地で別々にホモ・サピエンスの元となるヒトが生まれたという考え方には否定的な考えが多い。ヒトが猿に近い類人猿や原人だった200万年前からどのように生物学的な変遷を経てホモサピエンスに至ったかは、アフリカやヨーロッパを中心として発見されるヒトに似た骨の化石を発掘して研究されている。その結果によると、頭骨の形などからホモ・サピエンスには繋がらないヒト属に属する人々(異なる生物種)がいたことが明らかになっている。その一つがネアンデルタール人(ホモ・ネアンデルターレンシス)で、ヒト属だがホモサピエンスとは違う生物種であり頭骨や骨格に形態的に独自の特徴をもっており、40万年前にはヨーロッパや西はイランや中央アジアまでに住んでいたことが化石の発掘場所から明らかになっている。
この人たちは3万年前に絶滅したと考えられているが、その絶滅前にホモサピエンスはアフリカからネアンデルタール人の住む地域に移動してきている。そこで両者の間で子供が生まれたのか、また生まれたとするとその遺伝学上の痕跡はあるのかという疑問が湧く。この疑問に答えたのが2022年度のノーベル医学生理学賞を受賞したスウエーデン人でドイツのマックスプランク進化人類学研究所の所長であるスバンテ・ペーボ博士等の研究である。ここでは、この研究の一部を博士の2010年に発表した論文(A Draft Sequence of the Neanderthal Genome, R.Green, S.Paabo et al. Science,(2010), 328, 710-722)と、自著(ネアンデルタール人は私たちと交配したか? スバンテ ペーボ著、野中香方子訳、文藝春秋社(2022))を元に一部を紹介したい。
ダーウインが生物の種の進化を認め発表したのは150年ほど前だが、それ以来人間が猿に似た類人猿などからどのように進化してきたかは、生物の見た目、特に骨の形や化石の骨の比較によってきた。一方、生物種の定義は、交配によって子孫が残せるかどうかであった。子孫が残せるのは、近縁ということであり同じ種である。ネアンデルタール人の頭骨の形はかなりわれわれホモサピエンスに近いが異なっている。こうした違いを含めて沢山の地球上の生き物がどのくらい進化上近いのかの判断は、現在では形の比較に加えて遺伝子DNAの化学構造の比較によるのがもっとも正確である。技術の進歩により2001年にはホモサピエンスの遺伝子の基本構造を成すヌクレオチド分子の配列が初めて決定された(J.C.Venter et al. Science (2001) 291, p1304-1351)。
ヒトを生み出す情報は字に書くと30億字分に相当する。字に相当するヌクレオチドが30億繋がってDNAができている。このヌクレオチドのヒトでの並び方(ゲノム配列と呼ばれる)には38億年前にできたおそらく数十個のヌクレオチドからなる初めてのDNAを持つ生命ができて以来ホモサピエンスに辿り着くまでの地球上の生物の変遷が刻まれている。このヌクレオチドの配列を異なる生物の間で比べれば、交配があったかどうか分かる。交配の結果子供のDNAは両親の精子と卵子のDNAが合体してできる。子孫では何代か時間がたつと、生きるのに有利な遺伝子をもつものが生き残り、DNAのヌクレオチド配列にもこれが反映される。すなわちネアンデルタール人とホモサピエンスのゲノム配列を比較し、よく似た部分がどのくらいあるか比べれば、どのくらいの近縁なのか分かる。猿と人間では似た部分もあるが大半は似ていない。このゲノム配列の似ている度合いを数値化して生物の近縁関係と進化の様子が数値化され、進化の系統樹ができている。
ペーボ博士はネアンデルタール人とわれわれホモサピエンスの交配の可能性をこの遺伝子配列の似かより方を基盤に論じようとし、それを科学的に実現した。このためにはまず3万年前に絶滅したネアンデルタール人からヌクレオチド配列を調べることができるDNAを得ることが必要である。結果としてヨーロッパと中東の洞窟から見つかったネアンデルタール人の骨からごく微量のDNAを抽出し30億の配列の大方を決定した(上記 R. Green, S.Paabo et al.論文)。この成功に至る多くの困難がペーボ博士の自著に記されている。例えば、掘り出された3万年前の骨の細胞の中に時間がたっても土中の微生物などにより分解されずにDNAがあるのか、またごく微量の資料で膨大なヌクレオチドの配列をきめられるのかなど、技術的な課題は多い。すこし専門的なのでここではその詳細については紹介しない。ただ、ペーボ博士が最も強調していることは、3万年前の骨にはたくさんの土の中の細菌が増殖しており、ネアンデルタール人の骨のDNAの含量はこうした細菌などのDNAを含めた全部の含有DNAの3%程度であり、これをヒトのDNAと区別することが大変であったとのことである。微量なゲノムの塩基配列決定には、装置の原理からして新しい最新の配列決定装置が必要であったことも強調している。
決められた30億近いヌクレオチドの配列をすでに発表されているホモサピエンスの配列と比較すると、DNA全体の3パーセントの配列に相当する部分が両者でよりよく似ていた。もちろん97%の他の部分が全く違うというわけではない。このよく似た部分は、連続してあるのではなくDNAの中に跳び跳びに存在する。この他に比べてより似た部分は、ホモサピエンスがネアンデルタール人と交配しネアンデルタール人のDNAがホモサピエンスのDNAの中に残ったと考えるしかないというのが、ペーボ博士らの結論である。この3%のDNAが司令する遺伝子がどのようなものか、詳しい解析はこれからの研究が必要であるが、ペーボ博士らは大まかには頭蓋骨の形状にかかわる遺伝子と、認知能力に関わる遺伝子のDNA配列が中心となると記してる。2004年の論文では、爪や髪の毛のタンパク質であるケラチンの遺伝子がよく似ていると指摘し、その意味を考察している。こうした遺伝子はホモサピエンスにとって生きるのに有利であるが故に現在まで配列が保存されたと推察されている。一方、ネアンデルタール人の遺伝子と全体の3%のみ似ていることは、大半を占める似ていない部分の遺伝子は現在のわれわれには不利な要素があり、受け継がれなかったとしている。例えば、精子を作るための遺伝子がその例で、ネアンデルタール人とのハイブリイドは、子供が出来にくかったのではないかと推論している。
論文では、こうした遺伝子を人為的にヒトの細胞に遺伝子工学の技術を使い導入し細胞にどのような影響が現れるか調べることは進化を知る上で興味深いと記されている。ヒトはチンパンジーによく似た形から今のわれわれへと数十万年の時間をかけて徐々に変化してきた。これが進化であるが、我々人間の機能にどうゆう具体的な変化が進化により起こったのか、ネアンデルタール人の遺伝子が我々の中に残っていることを手がかりに調べられるかもしれない。